古/いにしえの面影       其の四百九拾

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

 撮影日  2006年04月23日 日曜日
岐阜県美濃市V(常磐町)

 慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の功により徳川家康からこの地を拝領した金森長近は、
長良川畔に小倉山城を築城、慶長11年(1606年)頃に現在の町割りが完成した。

さらに長近は、長良川に「上有知湊(こうずちみなと)」を開き、経済の発展を目指す。

   没後の元和元年(1615年)に尾張藩領となるも、「上有知湊」は船運による物資集散の
拠点として、和紙を中心とした経済活動が進み、商業都市として繁栄しました。

 明治44年(1911年)、それまでの地名「上有知(こうずち)町」は、美濃紙にちなんで
「美濃町」と改名し現在に至っているとか。
(美濃市観光協会HPより)

ある日突然、無くなる物があるんですよね〜
殆どの方が気にも留めませんがね。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


平安時代は「うだち」とよばれたが、室町以後うだつと訛った。本来は梁(うつばり)の上に立てる小さい柱のことをいった。そののち、切妻屋根の隣家との間についた小さい防火壁で、1階屋根と2階屋根の間に張り出すように設けられているものも「うだつ」と呼ぶようになる。本来、町屋が隣り合い連続して建てられている場合に、隣家からの火事が燃え移るのを防ぐための防火壁として造られたものだが、後には装飾的な意味に重きが置かれるようになる。自分の財力をアピールする為の指標として関西地方を中心に商家の屋根上には互いに競って立派な卯建がつけられた。
江戸時代中期頃に造られるようになったという。

設置するにはそれなりに費用も要し、比較的裕福な家に設けられることが多かったことから、慣用句として使われる『うだつがあがらない』の語源となっている。うだつがあがらないとは、仕事などで成果が出ず、先の見込みがない状態を言う。
ただしこの語源には諸説がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)




自家だけでは
卯建は無し。。



卯建to卯建〜

※シングル卯建

まぁ〜のんびりと。。



絵になりますね〜

※瓦がきれい〜

屋根の上に
火除けの神様が〜




電話番号札〜

※平べったい家屋

額に神様札

花車〜?

※紙遊さん

花車かと思えば〜
龍吐水。。
御洒落!

※古川鉄工株式会社製?
変わるものと変わらんもの〜
いつまで知った景色があるのやら。。
またまた古いもの持ってきて〜
(3年前・・・)
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら〜
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